大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成4年(あ)776号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

検察官の上告趣意は、原判決の憲法一三条、三一条の解釈の誤り、最高裁判所判例の違反、関税法の解釈適用の誤りを主張するものである。

そこで検討するに、関税法(平成六年法律第一一八号による改正前のもの。以下同じ。)一〇九条を限定解釈し、被告人の本件行為は同条に該当しないとして、被告人に無罪の言渡しをした原判決は、憲法の解釈を誤り、ひいては関税法一〇九条の解釈適用を誤ったものであって、破棄を免れない。その理由は、以下のとおりである。

第一  本件の経過

一  本件公訴事実の要旨は、次のとおりである。

1  被告人は、昭和六一年二月一九日、性交類似行為の場面等を露骨に撮影したビデオテープ一巻及び同様の写真を掲載した雑誌一冊を携帯して、空路サンフランシスコ国際空港から東京都太田区内の東京国際空港に到着した上、右貨物を手提げ袋等に隠匿して所持したまま同空港内東京税関羽田旅具検査場を通過し、輸入禁制品である風俗を害すべき図画を輸入した。

2  被告人は、Yと共謀の上、同日、Yにおいて、性交類似行為の場面等を露骨に撮影したビデオテープ四巻、同様の写真を掲載した雑誌六冊、カレンダー一冊、新聞一枚及びカタログ一冊を携帯して、空路サンフランシスコ国際空港から前記東京国際空港に到着した上、前記東京税関羽田旅具検査場において、右貨物をスーツケース内等に隠匿して所持したまま右検査場を通過し、輸入禁制品である風俗を害すべき図画を輸入しようとしたが、税関職員に発見されたため、その目的を遂げなかった。

二  第一審は、公訴事実と同旨の犯罪事実を認定し、関税法一〇九条一項、二項、関税定率法(平成六年法律第一一八号による改正前のもの。以下同じ。)二一条一項三号(同号の「風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」を以下「わいせつ表現物」という。)等の関係法令を適用して、被告人を罰金八万四〇〇〇円に処し、前記ビデオテープ等を没収する旨の判決を言い渡した。

これに対し、被告人が控訴を申し立てたところ、原判決は、右ビデオテープ等がわいせつ表現物に当たり、その輸入及び輸入未遂の事実を認めることができるとしながら、個人的鑑賞のための単なる所持を目的としたわいせつ表現物の輸入行為を処罰の対象とすることは、法が個人の自律にゆだねられるべき道徳の領域に介入するものであって許されないと考えられるから、関税法一〇九条の規定を条理に照らし憲法一三条、三一条にも抵触しないように合目的的に解釈すると、関税法一〇九条にいう「関税定率法第二十一条第一項(輸入禁制品)に掲げる貨物を輸入した者」には個人的鑑賞のための単なる所持を目的としてわいせつ表現物を輸入した者を含まないと解すべきであるとした上、本件わいせつ表現物の輸入及び輸入未遂の各行為は、いずれも個人的鑑賞のための単なる所持を目的としているから、関税法一〇九条には該当しないとして、第一審判決を破棄し、被告人を無罪とした。

第二  当裁判所の判断

一  関税定率法二一条一項三号は、わいせつ表現物の輸入をその目的のいかんにかかわらず一律に禁止し、関税法は、関税定率法二一条一項に掲げる貨物を輸入した者(一〇九条一項)及び同項の罪を犯す目的をもってその予備をした者又は同項の犯罪の実行に着手してこれを遂げない者(同条二項)について罰則を定めている。

二  関税定率法二一条一項三号の規定によるわいせつ表現物の輸入規制が、憲法二一条に違反しないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日大法廷判決・民集三八巻一二号一三〇八頁)の示すところであり、その余の憲法の規定に違反するものでないことも、右大法廷判例の趣旨に徴し明らかである。

三  我が国の刑法一七五条がわいせつ表現物の単なる所持を処罰の対象としていないことにかんがみると、その輸入規制を最小限度のものにとどめ、単なる所持を目的とする輸入を規制の対象から除外することも考えられなくはない。しかしながら、わいせつ表現物がいかなる目的で輸入されるかはたやすく識別され難いだけではなく、流入したわいせつ表現物を頒布、販売の過程に置くことは容易であるから、わいせつ表現物の流入、伝播により我が国内における健全な性的風俗が害されることを実効的に防止するには、その輸入の目的のいかんにかかわらず、その流入を一般的に、いわば水際で阻止することもやむを得ないというべきであり、このことは、前記大法廷判決の説示するところである。そして、右のように行政上の規制に必要性と合理性が認められる以上、その実効性を確保するために、右の規制に違反した者に対して、それが単なる所持を目的とするか否かにかかわりなく、一律に刑罰をもって望むことが、憲法一三条、三一条に違反しないことは、右大法廷判例の趣旨に徴し明らかであるというべきである。

四  そうすると、これと異なり、関税法一〇九条により、単なる所持を目的とした行為まで一律に処罰の対象とするのは、憲法一三条、三一条に違反するとして、被告人に無罪の言渡しをした原判決は、憲法の解釈を誤り、ひては関税法一〇九条の解釈を誤ったものであって、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。この点に関する上告趣意は理由がある。

よって、その余の上告趣意に対する判断を省略し、刑訴法四〇五条一号、四一〇条一項本文により原判決を破棄し、同法四一三条本文に従い、本件を東京高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高橋久子 裁判官 大堀誠一 裁判官 小野幹雄 裁判官 三好達)

上告趣意書

第一 序説〈省略〉

第二 上告の理由

第一点 憲法の解釈に誤りがあることについて

1 原判決の判示内容と憲法判断

原判決は、「関税法一〇九条の規定を、条理に照らし、憲法一三条、三一条にも抵触することのないよう、合目的的に解釈するならば、同条に規定する『関税定率法第二十一条第一項(輸入禁制品)に掲げる貨物を輸入した者』には、販売その他の目的を有せず、個人的鑑賞のための単なる所持を目的として同項三号所定の猥褻表現物を輸入した者を含まないものといわざるを得ない」と判示するが、これは、ひっきょう関税法一〇九条一、二項の規定を、何ら限定を加えずに、販売その他の違法な目的を有せず、個人的鑑賞のための単なる所持を目的として猥褻表現物を輸入した者を含むものと解釈すれば、憲法一三条、三一条に違反するとの趣旨であって、憲法の解釈・適用に関する判断を示したものにほかならない。

ところで、原判決は、右のごとき判断をするに至った理由について、まず、被告人らが、本件猥褻表現物を本邦内に持ち込み、又は持ち込もうとしたことが関税法一〇九条一、二項に規定する処罰の対象となるか否かについて考察するとして、「猥褻表現物に関する罪は、道徳的秩序に関する罪であるが、(中略)猥褻表現物に関する個人の行為が可罰性を帯びるのは、それが個人の領域を越えて社会との間に接点を生じ、健全な精神的社会環境秩序に対する侵害となる場合のみであり、この場合に限って刑罰法規による規制が許される」とし、次いで、刑法一七五条の規定が猥褻表現物に関する罪をその「頒布」、「販売」、「公然陳列」及び「販売目的による所持」に限定している事実に言及し、「他の刑罰法規によって猥褻表現物に対する規制を行う場合においても、その対象とすることが許される行為は、刑法一七五条において可罰性を認められている販売、頒布・公然陳列及び販売目的による所持のほかは、たかだか頒布・公然陳列目的による所持に止まるものというべきであり、これを越えて、主観的違法要素を伴わない個人的鑑賞目的による単純な所持までも規制の対象とすることは、(中略)本来最小限の道徳であるべき法律が個人の自由に委ねられるべき領域に干渉するものとして、条理上当然に排除されるべきものであるが、強いて憲法の条文を挙げるとすれば、一三条、三一条との抵触を論ずれば足りる」とした上、猥褻表現物の輸入行為につき、猥褻表現物を本邦内に存在させた点に着目すれば、「輸入」は猥褻表現物の「作出」と同視でき、輸入者の側からみれば本邦内において「入手」する場合と同視でき、「作出」とか「入手」、さらにそれに引き続く販売目的以外の「所持」は、いずれも刑法一七五条の規定上、不可罰であるから、輸入の場合であっても「所持」の場合と別異に取り扱うべきいわれはないとして、最終的に個人的な鑑賞のための単なる所持を目的とする輸入行為については、不可罰である旨の結論を導いている。

2 憲法の解釈に誤りがあると認める理由

本件において問題とすべきであるのは、猥褻表現物を国内で所持することの可罰性の有無ではなく、それを外国から輸入することを一律に禁止し、その違反を処罰することの合憲性をどのように考えるかということに尽きるのであるが、原判決は、個人的鑑賞のための単なる所持を目的として猥褻表現物を輸入した者を含めて一律に輸入行為を処罰するのであれば、それは憲法一三条、三一条に抵触することになるとして、その部分を不可罰にするという合憲的限定解釈を行っている。

しかし、このような原判決の限定解釈は、結局のところ、猥褻表現物の輸入行為を当該輸入の目的を問うことなく一律に刑罰法規で規制することの合理性、必要性のあることを見誤った上、憲法一三条、三一条の解釈を誤ったものであり、右解釈の誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、到底破棄を免れないというべきである。

そこでまず、猥褻表現物の輸入をその輸入目的を問うことなく一律に禁止して、その違反に刑事罰を科すことができることとしている現行法制に合理性と必要性が認められるゆえんを明らかにし、次いで、右憲法各条との抵触の有無について論ずることとしよう。

(一) 猥褻表現物の輸入を刑罰法規で一律に規制する合理性、必要性

個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする場合を含め、一律に猥褻表現物の輸入行為に対して刑罰法規で規制する合理性、必要性があることは、次に詳述するとおりである。

(1) 関税法一〇九条一、二項の規定の処罰根拠ないし保護法益

ア 関税法一〇九条一、二項は、「関税定率法第二十一条第一項(輸入禁制品)に掲げる貨物を輸入した者」又はその予備若しくは未遂罪を犯した者に対し、五年以下の懲役若しくは五〇万円以下の罰金又はこれらの併科に処する旨定めている。

また、関税定率法二一条一項は、「左の各号に掲げる貨物は、輸入してはならない」として、一号から四号まで輸入禁制品を掲記しており、猥褻表現物は、同条同項三号の「風俗を害すべき書籍、図画」等に当たると解され(最高裁判所昭和五九年一二月一二日大法廷判決・民集三八巻一二号一三〇八頁参照。以下、「大法廷判例」ともいう。)、この点は原判決も異論を述べていない。

イ 関税法及び関税定率法は、関税の確保、通関秩序の維持、並びに輸出・輸入される貨物について国の政策上必要とされる各種の規制が遵守されることをその目的としている(関税法一条、関税定率法一条参照)。

また、右目的を達成するために、次のような輸入規制の体制がとられている。

すなわち、わが国の公益保護の観点から、その輸入について可否の判断の余地がなく一律に輸入を禁止する必要のある貨物については、関税定率法二一条で特に輸入禁制品と定め、税関が水際において当該貨物の輸入の取締りを行う。

他方、わが国の産業、経済、文化、厚生等の見地から政策的に各種の公法的規制が加えられているものがあり、関税法令以外の法令によりその輸入が規制されている貨物については、通関手続の段階において審査又は必要な検査を行い、他法令の許可・承認等が得られているかどうかを確認し、各種規制等の履行がなされていない場合には輸出又は輸入の許可を行わないものとしている(関税法六七条、七〇条等)。

ウ そこで、関税法一〇九条一、二項の規定の処罰根拠ないし保護法益については、猥褻表現物の輸入規制の面からと、通関制度の面からとの、両面から検討する必要がある。

まず、猥褻表現物の輸入規制の面においては、右規定は、関税定率法二一条一項各号掲記の輸入禁制品の輸入に対する罰則(輸入禁制品の(密)輸入罪)であるから、輸入禁制品の輸入規制の実効性を担保するための規定であって、輸入禁制品の国内流入を実効的に阻止し、これが社会に広く流布、拡散することを未然に防止し、各種輸入禁制品の個性に応じて、国内における公共の秩序、衛生、風俗、信用等、社会公共の利益に対する侵害を実効的に防止し、社会公共の利益を確保することにあるとみることができる。

特に、三号掲記の猥褻表現物については、これが広く社会に流布、拡散し、あるいは公然たる展観を呈するときは、性的秩序、最小限度の性道徳、健全な性風俗を害することになるものであるところ、国外における猥褻表現物の源泉を規制することができないために、水際での規制、取締りを実施して、国外からの流入を実効的に阻止し、その流布、拡散や公然たる展観を未然に防止して、国内における性的秩序、最小限度の性道徳、健全な性風俗に対する侵害を実効的に防止し、その維持・確保を図ること(刑法一七五条に関する処罰根拠、保護法益について、いわゆるチャタレー事件の最高裁判所昭和三二年三月一三日大法廷判決・刑集一一巻三号九九七頁、いわゆる悪徳の栄え事件の最高裁判所昭和四四年一〇月一五日大法廷判決・刑集二三巻一〇号一二三九頁参照。なお、後記第一点、(二)、(2)、ア「憲法一三条と公共の福祉との関係」参照)がその処罰根拠ないし保護法益であると考える。

エ 次に、通関制度の面においては、関税法、関税定率法によれば、各種規制等の実効性を担保するため、外国から到着した貨物を輸入しようとする者は、船舶あるいは航空機による輸入貨物であれ、入国旅客の携帯品であれ、すべて(ただし、郵便物を除く。)輸入申告の上、税関検査を経て税関長の許可を受けなければならない(輸入許可制度)ものとされており(関税法六七条)、右に関しては、輸入禁制品の(密)輸入罪(関税法一〇九条一、二項)と同様に、無許可輸入罪(予備・未遂罪を含む。)として、三年以下の懲役若しくは三〇万円以下の罰金又はこれらの併科に処する旨の罰則が定められている(関税法一一一条一、二項)。

すなわち、貨物の輸入については、基本的な制度として、輸入許可制度があり、その他一定のものを輸入許可の対象外に置き輸入禁制品と定めて輸入を禁止するものであって、輸入禁制品の制度は、輸入許可制度の特別規定としての色彩も有するとみることが可能である(日本関税協会編「関税法規精解」(上巻)七八五頁は、関税法一一一条につき、「密輸出入事犯に対する原則的規定」であるとする。)。

したがって、かかる観点においては、関税法一〇九条一、二項の規定の処罰根拠ないし保護法益は、無許可輸入罪の規定とあいまって、輸入秩序(適正な税関手続の執行)の実効的な維持・確保を図ることにある(なお、無許可輸入罪については、貿易統計上の正確を確保することも、その処罰根拠ないし保護法益である。)と考えられる。

原判決の判示には、処罰根拠ないし保護法益を検討するに当たって、右の観点からの考察が欠落しており、基本的な誤りがあると思料する。

オ そこで、猥褻表現物の輸入規制の面と、通関制度の面との両面を併せて考えれば、猥褻表現物の輸入に関する関税法一〇九条一、二項の規定の処罰根拠ないし保護法益は、〈1〉猥褻表現物がみだりに国外から流入することを実効的に阻止し、国内における性的秩序、最小限度の性道徳、健全な性風俗が侵害されることを実効的に防止し、その維持・確保を図ること、併せて、〈2〉輸入秩序(適正な税関手続の執行)の実効的な維持・確保を図ることにあると考えられる。

なお、猥褻刊行物ノ流布及取引ノ禁止ノ為ノ国際条約(昭和一一年条約第三号)一条の規定が締約国に頒布等を目的とする猥褻表現物品の輸入行為等を処罰することを義務づけているところであって、右条約の趣旨に沿って、各国において、猥褻表現物の輸入行為に対する処罰規定が設けられていることは周知の事実である。

カ 以上の処罰根拠ないし保護法益に関する考え方は、猥褻表現物の輸入が、頒布、販売等のための所持を目的とする場合であろうと、個人的な鑑賞のための単なる所持を目的とする場合であろうと、本質的には別異に解すべき筋合いのものではないので、個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする場合を含め、一律に猥褻表現物の輸入行為に対して刑罰法規で規制すべき合理的根拠になるといい得る。

ところが、原判決は、猥褻表現物の輸入行為につき、猥褻表現物を本邦内に存在させた点に着目すれば、「輸入」は猥褻表現物の「作出」と同視でき、輸入者の側からみれば本邦内において「入手」する場合と同視でき、「作出」、「入手」や販売目的以外の「所持」は、いずれも刑法一七五条の規定上、不可罰であるから、輸入の場合であってもこれと別異に取り扱うべきいわれはないとして、販売目的等の主観的違法要素を伴わない個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする輸入行為を処罰することは、法が個人の自律に委ねられるべき道徳の領域に介入するもので許されないとの結論を導くが、これには以下述べるように明らかな論理の誤りがあるというべきである。

キというのは、そもそも輸入については、前述のとおり、関税の確保、通関手続の維持、並びに輸入される貨物について国の政策上必要とされる各種の規制が遵守されることを目的として、外国から到着した貨物を本邦に引き取る通関の段階で国の機関が直接にすべての貨物を検査し税関長が許可・不許可の処分を行う体制がとられているものであって、国内において個人が全く私的に猥褻表現物を「作出」、「入手」、「所持」する場面とは、およそその公共的な関心とか関与の度合いにおいてその性格を異にするものであるのに、かかる正反対の立場にある両者を単純に同一視して、国内における「作出」、「入手」、販売目的以外の「所持」等が処罰されていないから「所持」を目的とする「輸入」も処罰されるべきでないという論理は、その根本において、誤りがあると言わざるを得ず、承服しがたい。

ク ところで、国内における主観的違法要素を伴わない取得行為は処罰されないのに、輸入した場合には禁制品輸入罪で処罰される対象物件としては、関税定率法二一条一項二号掲記の貨幣、紙幣、銀行券の偽造品、変造品、模造品がある。これらの輸入禁制品の輸入が関税法一〇九条によって無条件一律に処罰されるのは当然であるが、それら物件の国内における規制としては、「行使の目的」という主観的違法要素を伴う場合に限定して取得行為を処罰の対象としている(刑法一五〇条)ことも、法が国内における規制と輸入の規制とを全く別個の次元の問題としてとらえていることの証左であろう。

(2) 税関検査における一律規制の合理性、必要性

関税定率法二一条一項三号の規定は、「風俗を害すべき…物品」(猥褻表現物)につき、その輸入する目的を問うことなく、一律に輸入禁制品に指定してその輸入を禁止している。それは、以下に述べるとおり、一律に輸入を禁止する税関行政上の合理性と必要性に基づくものであるが、関税法一〇九条は、その輸入禁止の実効性を担保するために、当該違反行為に対しては、一律に刑事制裁をもって臨むことができる法制になっているから、ここで検討すべきことは、このような罰則をも含めて輸入目的を捨象した一律規制をすることの合理性、必要性が認められるべきか否かである。

ア 外国からの大量流入とその迅速な流布・拡散性

猥褻表現物の規制に関する法制は、各国において異なっているが、最近の実情としては、一般的には、猥褻表現物を国外(主として欧米諸国)において入手することは比較的容易であることがうかがわれる。特に、近時、年間一、〇〇〇万人以上(平成三年において約一、〇六〇万人)の国民が海外旅行をし、四〇〇万人近い(平成三年において約三八五万人)外国人が我が国に入国する実情にあるから、個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする輸入を禁止して処罰することができないとすれば、海外からの旅行者・入国者の手により、あるいは、郵便物等によって、猥褻表現物が常時大量に国内に流入することとなるのは必至である。

さらに、いったん国内に流入した猥褻表現物が、その所持目的を変えて頒布・販売の過程に置かれることも十分予想される上、最近における表現及びその受容の手段、あるいは表現物複製の技術の著しい進歩やそのための機器の普及に伴い、この種猥褻表現物がいったん国内に流入するときは、当該猥褻表現物ばかりでなく、廉価で精巧な複製物が、たやすく流布、拡散し、あるいは公然たる展観に至る蓋然性は極めて高い。

ちなみに、本件ビデオテープ等については、被告人は、自己が個人的に鑑賞する目的であって月刊誌「ザ・ゲイ」に掲載する意図はなかった旨供述するにかかわらず、一般論として同誌に猥褻表現物を掲載する場合のあることを認めている上、同誌の編集者である共犯者Yも、原審公判廷において、本件ビデオテープ等を同誌に転載する意図もあった旨供述していることを併せ考えると、輸入後において、被告人が企図を新たにすることも充分考えられたのであり、本件ビデオテープ等が同誌に転載されるなど、他の目的に使用される蓋然性は極めて高かったものということができる。

特に、女性器等の写真が掲載されているビデオカタログ一冊については、原判決は、女性に関心のない被告人にとって無用のものであった旨認定するが、無用であれば他に譲渡される蓋然性が高かったとみるべきである。

なお、原判決は、猥褻表現物の輸入により、それだけ国民が猥褻表現物に接する機会が多くなることは否定できないものの、外国と国交を維持している以上甘受せざるを得ず、刑罰をもって禁圧しなければならない理由はないとする。

しかしながら、性的秩序、最小限度の性道徳、健全な性風俗を維持・確保するため、猥褻表現物の輸入を禁止し、その違反に対して刑事制裁をもって臨むことは、主権国家の関税政策として合理性、必要性があり、右見解は失当である。

また、原判決は、個人的に鑑賞するための単なる所持を目的として輸入された猥褻表現物が、その後頒布、販売等の違法行為に使用された後、かかる違法行為を補捉することは困難であることも考えられるが、そのことを理由に輸入の時点で規制することは、犯罪成立要件の緩和であって許されないとする。

しかしながら、輸入の時点で規制することは、何ら犯罪成立要件の緩和ではなく、外国の猥褻表現物が国内へ流入するのを、通関線つまり水際で阻止する税関行政上の合理性、必要性に基づくものであるので、右見解も失当である。

イ 税関検査において輸入目的を判定することの困難性

税関検査は、関税徴収を主たる目的とする貨物検査の性格上、元来貨物の外観、性状等の物理的状態に着目して即物的な検査を行うものであるが、個人的鑑賞のための単なる所持を目的とするものであるか否かについては、外観、性状、数量等によって判断することは困難であって、本人の申告を基本とせざるを得ず、そうであれば、犯罪の構成要件が極めて不明確なものとなって、構成要件の保障機能を失わせることになる。

また、大量検査(関税定率法二一条一項三号掲記の猥褻表現物該当通知の年間件数は、全国で、平成二年八、四二八件、平成三年七、四七七件)を迅速に実施しなければならない実情にあることから、検査の場において、個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする輸入であるか否かを即時に判断することは極めて困難であり、かかる判断を求めることは不可能を強いるに等しいものである。

個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする場合は輸入が許されるというのであれば、頒布、販売等の目的であるのに単純所持目的である旨偽って輸入する事犯が誘発されるおそれも少なくないであろう。

(3) 輸入規制による不利益

個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする輸入行為が規制されれば、その分だけ猥褻表現物を個人的に鑑賞して楽しむ自由が制限される不利益が生ずることとなるのは事実であろう。

しかしながら、国内においても、もともとかかる猥褻表現物の頒布、販売は禁止されているため、これを他から入手して楽しむ自由が保障されているわけではないから、一律輸入禁止にする合理性と必要性が認められる限り、前記のような不利益は当然甘受すべき性質のものである。

要するに、後述のとおり、原判決が論ずるように猥褻表現物を個人的に鑑賞する自由が憲法一三条で保障されるとしても、その目的で猥褻表現物を入手することまでが憲法上保障されているわけではないから、前記のような輸入規制に伴う不利益は当然受忍すべき事柄というべきであろう。

(二) 憲法一三条の解釈の誤り

(1) 憲法一三条の保障範囲と輸入規制

原判決は、憲法一三条との抵触に関連して、「販売の目的等の主観的違法要素を伴わない、個人的鑑賞のための単なる所持を目的とした猥褻表現物の輸入行為を処罰することは、法が個人の自律に委ねられるべき道徳の領域に介入するものであって許されないと考える。それ故、関税法一〇九条の規定を、条理に照らし、憲法一三条…にも抵触することのないよう、合目的的に解釈する…」として、本件限定解釈を行っている。また、「本件猥褻表現物は、その大部分が極めて低俗なものであり、表現の自由を標榜することが許されないのはもとより、これを鑑賞する者の品性を下落させる虞のあるものである。しかし、それを鑑賞すると否とは、もっぱら個人の自由に委ねられているところであり、個人の行為が健全な精神的社会環境秩序に対する侵害とならない限り、刑罰法規をもってその自由に干渉することはできないものというべきである。」とも述べている。

これら判示によれば、原判決が、自己鑑賞目的で猥褻表現物を国外から輸入する行為も、憲法一三条によって保障されているものとの前提に立っていることが明らかである。

憲法一三条は、前段の「個人の尊重」とともに、後段で、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(以下、「幸福追求権」という。)について、最大の尊重を必要とする旨規定しており、同条の保障する具体的権利として私生活上において国から干渉されない自由権、すなわちいわゆるプライバシーの権利が論じられている。

原判決が判示するように、猥褻表現物を個人的に鑑賞することが、もっぱら個人の私生活上の自由に属するものとして憲法一三条の保障の範囲内だと解するとしても、輸入行為については、個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする輸入であっても、それ自体、何ら私生活に属するものでなく、前記第一点、2、(一)、(1)「関税法一〇九条一、二項の規定の処罰根拠ないし保護法益」に述べるとおり、社会公共の利益や輸入秩序等と深くかかわるものであることは明らかであるので、憲法一三条に規定する基本的人権たる私生活上の自由権による保障を論ずる余地はないというべきである。

なお、参考までに、アメリカ合衆国の猥褻表現物処罰に関する判例を検討してみると、確かに、スタンレー対ジョージア州事件(一九六九年三九四・US・五五七)において、自宅の寝室に猥褻フィルムを所持していた事実について起訴され猥褻表現物の認識ある所持を処罰するジョージア州法に違反するとして有罪判決を宣告され同州最高裁が支持していた上告事件について、合衆国最高裁は、「各州は猥褻表現物を規制する広範な権能を保持しているが、その権能は、個人がその自宅において私的に単純所持することまでは及ばない」から、猥褻表現物の単純私的所持を犯罪と規定することは、合衆国憲法修正一条及び同一四条によって禁じられているとして、同州最高裁判決を破棄して差戻している。しかし、このスタンレー判例に対しては、その後合衆国最高裁は、合衆国対三七枚写真事件(一九七〇年四〇二・US・三六三)において、欧州から猥褻写真三七枚を合衆国に持ち帰った旅行者に対する連邦法一三〇五条(a)(一九・USC)に規定する当該猥褻写真没収手続について連邦地裁が同条(a)はスタンレー判例に抵触するから適用できないとしたのに対し、「スタンレー(判決)のもとにおいて、私的使用者がその自宅における猥褻表現物の所持について訴追されないということは、通商において有害な貨物を排除しようとする連邦議会の権能から離れて猥褻表現物を自由に輸入できる権利が付与されていることを意味しない。スタンレーが強調していることは、家庭のプライバシーにおける思想と精神の自由にあったのである。しかしながら、通関港は、旅行者の家庭ではない。」と判示し、スタンレー判例はそれが私的使用であれ、伝播目的であれ、外国からの猥褻表現物の輸入については適用にならないことを明らかにし、上記一三〇五条(a)を合憲として、原判決を破棄差戻している。

また、全く同種の猥褻表現物輸入に伴う没収手続事件で、輸入者が特にプライベートで個人的な使用と所持のみを目的としたものであると主張して、上記一三〇五条(a)の合憲性を争った一九七二年の合衆国対一二、二〇〇フィート・リールズ・オブ・スーパー八ミリフィルム事件(四一三・US・一二三)において合衆国最高裁は、上記三七枚写真判例等に準拠しつつそれらの延長として「スタンレー判決は、外国に行って私的目的で猥褻表現物を我が国に持ち込むことを許容するものではないことになる。」と判示して連邦地裁の判決を破棄差戻している。

(2) 公共の福祉と輸入規制

さらに、個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする猥褻表現物の輸入が前述した私生活の自由権に属するとしても、その権利は公共の福祉の制約の下にあるので、この観点からも、猥褻表現物の輸入を一律に刑罰法規で規制することが、憲法一三条に違反するものではないことは明らかである。

ア 憲法一三条と公共の福祉との関係

憲法一三条は、個人の尊重を核心とする幸福追求権(基本的人権)について、「公共の福祉」に反しない限り、最大の尊重を必要とする旨規定している。

右は憲法に規定する基本的人権といえども、いかなる場合にも絶対的に無制約のものではなく、公共の福祉という限界が存するということを示したものであり、また、そこから生ずる法的効果としては、基本的人権も公共の福祉に反する場合には法律をもってこれに制限を加え得る根拠を示したものと解すべきである(最高裁判所の判例は、一貫してこの立場をとっている。憲法一三条違反が争われた事案として、有毒飲食物等取締令違反被告事件の昭和二三年一二月二七日大法廷判決・刑集二巻一四号一九五一頁、漁業法施行規則違反被告事件の昭和二五年一〇月一一日大法廷判決・刑集四巻一〇号二〇二九頁、賭場開張図利被告事件の昭和二五年一一月二二日大法廷判決・刑集四巻一一号二三八一頁がある。)。

特に、猥褻表現物の刑事上の規制について、基本的人権と公共の福祉との関係をみてみると、憲法二一条一項の表現の自由に関してではあるが、前記チャタレー事件の最高裁判所昭和三二年三月一三日大法廷判決は、「憲法の保障する各種の基本的人権についてそれぞれに関する各条文に制限の可能性を明示していると否とにかかわりなく、憲法一二条、一三条の規定からして、その濫用が禁止せられ、公共の福祉の制限の下に立つものであり、絶対無制限のものでな」く、「この原則を出版その他表現の自由に適用すれば、この種の自由は極めて重要なものではあるが、しかし、やはり公共の福祉によって制限されるものと認めなければならない。そして性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がない」旨判示している(前記悪徳の栄え事件の最高裁判所昭和四四年一〇月一五日大法廷判決も同旨)のであり、右の論旨は、当然、憲法一三条の関係でも類推さるべきものと考える。

イ 輸入規制と公共の福祉

個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする猥褻表現物の輸入行為を処罰することについては、単なる所持を目的とする場合を含め、一律に、猥褻表現物の輸入行為に対して、刑罰法規で規制する合理性、必要性があることは、前記第一点、2、(一)「猥褻表現物の輸入を刑罰法規で一律に規制する合理性、必要性」に詳述したとおりであり、右の合理性、必要性は、憲法一三条の公共の福祉に合致するので、公共の福祉による制約として、憲法一三条に違反するものではないことは明らかである。

(三) 憲法三一条の解釈の誤り

原判決は、必ずしも明確ではないものの、個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする猥褻表現物の輸入行為を処罰することについて、実体的処罰根拠を欠くもの(実体的デュープロセス違反)として、憲法三一条に違反するとしているようである。

しかしながら、個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする場合を含め、一律に、猥褻表現物の輸入行為に対して刑罰法規で規制する合理性、必要性があることについては、前記第一点、2、(一)「猥褻表現物の輸入を刑罰法規で一律に規制する合理性、必要性」に詳述したとおりである上、憲法一三条違反が成立する余地もないことも前述のとおりであって、実体的処罰根拠を欠く(実体的デュープロセス違反)との主張に理由のないことは明らかであり、憲法三一条違反も成立しない。

なお、原判決には、関税法一〇九条一、二項の規定の法定刑が刑法一七五条の規定のそれよりもはるかに重いと指摘する個所があるが、〈1〉両者は、取締りの目的、処罰根拠ないし保護法益を異にしていること、〈2〉関税法一〇九条一、二項の規定には麻薬等悪質な法禁物が含まれている(麻薬の譲渡等は一〇年以下の懲役刑である。)こと、〈3〉刑の下限に差はないことなどの理由により、不合理とはいえない。

(四) 昭和五九年大法廷判例の判示内容

前記最高裁判所昭和五九年一二月一二日大法廷判決は、後記第二点、1「最高裁判所の判例と原判決の判示」において詳述するとおり、税関検査による猥褻表現物の輸入規制が憲法二一条一項の規定に反するものではないとし、猥褻表現物の輸入をその目的のいかんにかかわりなく、一般的に禁止することの合理性、必要性を肯認している。原判決も、刑罰法規による規制は全く別個の次元に属するとしているものの、関税定率法二一条一項三号の規定による輸入規制に関しては、右大法廷判例の判示を引用しつつ、「その輸入を一般的に禁止していることについての合理性、必要性を否定するものではない」として、その合理性、必要性を認めている。

ところで、右大法廷判例の判示は、後記第二点、2、(二)「大法廷判例が刑罰法規による規制を含む輸入規制制度全体について合憲性判断をしていること」に述べるとおり、行政上の規制に止まらず、刑罰法規による規制まで含めて合憲性を判断したものであると解すべきである。

すなわち、後記第二点、2、(二)、(1)「輸入規制の体系」において詳述するとおり、関税法は、関税線の前後を通じて、税関検査に伴う行政的措置、犯則調査に基づく通告処分、告発に基づく刑事制裁等が順次連動し一体となって機能することによって輸入規制を実効あらしめているものであって、輸入禁制品の輸入の抑止を担保するためには、通関手続における行政上の規制のみによっては十分でなく、また、通関手続を経ない非合法の輸入について行政的措置による抑止は全く期待できないので、刑罰法規によって規制することはやむを得ないものであるから、行政上の規制に関して合理性、必要性を認める以上は、刑罰法規による規制についても、その合理性、必要性を肯定すべきであると考える。

換言すれば、行政上の規制において、猥褻表現物の輸入行為を一般的に禁止することについての合理性、必要性が認められ、憲法にも反するものではないと解する以上は、刑事法上もその違反行為を違法であると評価して、一定の不利益を課するとしても、その不利益が不合理なものでない限り、憲法に違反するものではない、というべきである(いわゆる名古屋中郵事件に関する最高裁判所昭和五二年五月四日大法廷判決・刑集三一巻三号一八二頁参照)。

(五) 憲法三一条、一三条違反が争われた同種事例に関する最高裁判所の判例

いわゆるどぶろく密造事件に関する最高裁判所平成元年一二月一四日第一小法廷判決(刑集四三巻一三号八四一頁)は、自己等の飲用に供するためにどぶろくの無免許製造を行った事件において、法益侵害の危険のない行為を処罰し個人の酒造りの自由を合理的な理由がなく制限するものであるから憲法三一条、一三条に違反するとの主張がなされたのに対して、「酒税法の右各規定は、自己消費を目的とする酒類製造であっても、これを放任するときは酒税収入の減少など酒税の徴収確保に支障を生じる事態が予想されるところから、国の重要な財政収入である酒税の徴収を確保するため、製造目的のいかんを問わず、酒類製造を一律に免許の対象とした上、免許を受けないで酒類を製造した者を処罰することとしたものであり、これにより自己消費の目的の酒類製造の自由が制限されるとしても、そのような規制が立法府の裁量権を逸脱し、著しく不合理であることが明白であるとはいえず、憲法三一条、一三条に違反するものでない。」と判示し、右主張を排斥している。

右は、自己消費目的の行為であり法益侵害性がないとして、その処罰規定が憲法三一条、一三条違反である旨問題となった点において、本件とほぼ同種の憲法問題が争われた事案であるといえるが、最高裁判所は、「酒税確保」という公益的目的のために、酒類製造の目的のいかんを問わず、一律に処罰することとしても不合理とはいえない旨判示したものであり、本件についても参考とすべきである。

第二点〈省略〉

第三点 判決に影響を及ぼすべき法令の違反があることについて

1 原判決の法令解釈に関する判示

原判決は、行政上の規制の面では、販売その他の違法な目的を有せず、個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする猥褻表現物も、関税定率法二一条一項三号掲記の輸入禁制品に該当することを容認しながら、刑事処罰の場合は、「関税法一〇九条の規定を、条理に照らし、憲法一三条、三一条にも抵触することのないよう、合目的的に解釈するならば、同条に規定する『関税定率法第二十一条第一項(輸入禁制品)に掲げる貨物を輸入した者』には、販売その他の違法な目的を有せず、個人的鑑賞のための単なる所持を目的として猥褻表現物を輸入した者を含まないものといわざるを得ない」旨判示する。

2 右判示に法令の違反があると認める理由

右の法令解釈は、猥褻表現物の輸入規制につき、刑事処罰の場合に、行政上の規制の場合とは異なる別個の解釈を行い、何ら限定が付されていない法文を極めて恣意的に限定解釈した不合理なものであって、法令の解釈を誤ったものとして、判決に影響を及ぼすべき法令の違反がある。また、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。

以下に、その理由を明らかにする。

(一) 本件合憲的限定解釈の不合理性

いわゆる合憲的限定解釈と呼ばれるものは、法律の規定が不明確な場合、又は、過度に広汎な場合に、これを合理的に解釈することにより、その規制対象を合理的に規制し得る行為に限定することができ、そのように限定的に解釈した結果、違憲の疑いを除去することができる場合に、当該規定を文面上違憲とすべきではないとの結論を導くため用いられる解釈手法である。しかも、限定解釈が許されるのは合理的に規制し得る行為とそうでないものとを明確なカテゴリーによって区別して示すことができ、かつ、そのような限定解釈が当該規定の解釈として合理的なものであることが明らかな場合に限られると解すべきである(昭和五九年最高裁判所判例解説民事編四九八頁参照)。

しかるところ、原判決は、関税法一〇九条一、二項の規定につき、個人的に鑑賞するための単なる所持を目的として猥褻表現物を輸入した者を処罰するとすれば、憲法一三条、三一条に違反する(右関税法の規定が「過度に広汎な場合」に当たるとでもいうのであろう。)としてかかる場合を含まない旨の限定解釈をしたものであるが、以下に述べるとおり、著しく妥当性を欠くものである。

まず、前記第一点「憲法の解釈に誤りがあることについて」において詳述したとおり、個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする猥褻表現物の輸入行為についても、その処罰根拠ないし保護法益、一律規制の必要性、規制による不利益との均衡等の面からみて、刑罰法規で規制する合理性、必要性があり、その合理性、必要性は憲法一三条の公共の福祉に合致するなどの理由により憲法一三条違反は成立せず、また、実体的処罰根拠を欠くなどの点も理由がないので憲法三一条違反も成立しないことは明らかである。それゆえ、憲法一三条、三一条違反がありその違憲の疑いを除去するために、合憲的限定解釈を導入したとする原判決の判示は、その違憲状況という前提条件を欠いた失当なものというべきである。

次に、前記第一点、2、(一)「猥褻表現物の輸入を刑罰法規で一律に規制する合理性、必要性」において詳述したとおり、関税法一〇九条一、二項の規定は、猥褻表現物の輸入につき、〈1〉猥褻表現物がみだりに国外から流入することを阻止し、国内における性的秩序、最小限度の性道徳、健全な性風俗が侵害されることを実効的に防止し、その維持・確保を図ること、併せて、〈2〉輸入秩序(適正な税関手続の執行)の維持・確保を図ることをその処罰根拠ないし保護法益とするものであって、個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする場合を含めて、猥褻表現物の輸入を一律に禁止し、その違反行為に対して刑事制裁をもって臨む合理性、必要性があることは明らかである。それゆえ、原判決が判示する限定解釈の内容は、「当該規定の解釈として合理的なものであることが明らかな場合」であるとは到底いえないばかりか、むしろ不合理であることが明らかであるといわなければならない。

その他、右規定を限定解釈すべき理由はないので、右限定解釈は不合理というべきであり、失当というほかない。

(二) 行政上の規制の場合と異なる別個の解釈を行うことの不合理性

原判決は、刑事処罰に際して行政上の規制の場合と異なる別個の解釈を行うものであるが、そのこと自体極めて妥当性を欠くものであって、誤りというほかない。すなわち、前記第二点、2、(二)、(1)「輸入規制の体系」に詳述したとおり、輸入規制は、税関検査に伴う行政的措置、犯則調査に基づく通告処分、告発に基づく刑事制裁が連動し一体となって機能することによってその実効性を担保しようとするものである。したがって、行政上の規制の場合と刑事処罰の場合とで解釈を異にすることは右の実効性を阻害することとなり、制度の趣旨に反するものであることは明らかであって、到底採り得ないものである。

(三) 原判決の判示の矛盾

原判決は、個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする猥褻表現物の輸入行為につき、輸入禁制品として行政上の規制を行うことを容認した上、「厳密に言えば犯則に当たらない」と述べる部分もあって、一部明確さを欠くものの、「税関長がその目的の如何を問わず通告を行ったとしても、右通告は、刑事手続に移行する前の段階であり、通告金額等を納付するか否かは被通告者の自由に委ねられているのであるから、通告に不服のある者はこれに応じないことができるのである。」などと述べている点からみると、これを犯則事件として調査し、通告処分に付することを否定するものではない旨判示しているものと解される。

しかしながら、犯則事件とは関税法の罰則に該当する事実であって、調査の対象となっているものをいうと解される上、通告処分についても、「行政機関が行政手続によって収集した資料により、行政行為として、犯罪につき、犯罪者に対し、罰金若しくは科料相当額、没収品該当物品等の納付方を通告する行為である」(堀田力・「通告処分の本質」警察研究四一巻二号二四頁参照)と解すべきであり、いずれにしても、刑事罰則の存在が前提になっている。また、関税法の規定によっても、通告処分不履行の場合には検察官に対する告発が行われるなど、最終的に刑事罰に連結するように構成されているものであることは明らかである。

したがって、個人的鑑賞のための単なる所持を目的とする猥褻表現物の輸入行為につき、刑事上不可罰というのであれば、犯則事件としての成立要件を欠くものであって、犯則事件として調査し、通告処分に付することは許されないと考えられるので、右判示の趣旨は全体として矛盾しているというべきであり、理解し難い。

また、仮に、犯則事件の調査や通告処分を行い得ると解しても、不履行の場合に検察官に対する告発がなされた後、刑事事件としては構成要件に該当せず、結局不処罰ということになるのであれば、通告処分の履行は期待し得ず、犯則事件の調査や通告処分の制度は意味を失うこととなるが、法がこのような、規定の一体性、連動性に反する事態を容認するものとは到底考え難い。

第三〈省略〉

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